陳雲、上海が生んだ中国共産党の指導者

1921年に上海で誕生した中国共産党は、抗日戦争と国共内戦を戦い抜き、1949年に新中国を成立させた。それ以降、紆余曲折を経ながらも、現在に至る発展の道を歩んできた。その過程で、多くの指導者が輩出された。その中の1人が陳雲だ。陳雲は現在の上海市青浦区に生まれ、新中国の要職を歴任した。上海市西部の広大な田園地帯の一角に陳雲の故居があり、その功績をしのぶことができる。
 

陳雲の像(陳雲故居記念館前)

青浦から中国の財政政策の責任者へ
 
 陳雲は1905年、江蘇省青浦県(現在の上海市青浦区)に生まれた、生家は貧しい農家だった。2歳のときに父を4歳のときに母を亡くし、母方のおじである廖文光に引き取られた。現在の陳雲故居は、陳雲がおじ、おばに育てられた家だ。陳雲は14歳で小学校を卒業するまでそこで暮らした。
 小学校を出た陳雲は、経済的にそれ以上学業を続けることが許されず、上海に出て植字工の見習いとして働き始める。中国共産党に入党したのは1925年のことだった。地元の青浦県や上海市での仕事で徐々に頭角を現した陳雲は、1931年に党中央委員に選任される。その後、中国共産党の苦難の歴史の象徴でもある長征にも参加している。
 新中国建国後は政務院副総理兼財政経済委員会主任となり、財政経済政策の最高責任者となった。文化大革命で批判され、江西省南昌市に下放されるが、1978年に鄧小平が復活を果たすと、陳雲も党副主席、政治局常務委員として復権する。
 その後、鄧小平が進める改革開放政策に対し、陳雲は「鳥は籠がないと飛んで行ってしまう」として、市場を計画の枠内に閉じ込める鳥籠理論を提唱する。陳雲は保守派の重鎮となり、鄧小平と対立するようになる。
 改革開放政策によって経済発展を成し遂げた現在の中国では、陳雲の評価は鄧小平ほど高くはない。上海でも同様だ。しかし、青浦区では地元が生んだ偉人として多くの人から敬愛されている。
 
ひっそりとした故居と古い街並み
 
 陳雲の故郷である練塘鎮は、上海最大の湖・淀山湖の南に広がる田園地帯の一角にある。陳雲ゆかりの地には立派な記念館が整備されている。館内の資料は年代を追って展示されており、陳雲の数多くの写真や遺品を見ることができる。故居は記念館の北にひっそりとたたずんでいる。家の中には陳雲が幼いころ使ったというベッドが置かれた寝室や厨房が残されている。
 陳雲故居の周辺は、練塘古鎮と呼ばれる古い街並みとなっている。築数十年という古い家が並び、陳雲が暮らしていたころの街の面影が感じられる。街を歩きながら、100年ほど前の陳雲の幼少時代に思いをはせたい。
 
陳雲故居への行き方
上海市西部の水郷・朱家角まで行って「青小線」「青蒸線」「青楓専線」のいずれかのバスに乗り換え、「老朱楓公路練塘(青楓専線は練塘)」のバス停で降りる。老朱楓公路を南に500メートルほど行くと陳雲故居の看板が見える。入場無料だが身分証明書の提示を求められるため、パスポートを持参しなければならない。
 
 
陳雲故居。おじの廖文光の家だ
 

陳雲が使ったベッドが保存されている。意外に豪華なベッドだ


故居の厨房。昔の農家らしい雰囲気を感じる
 

陳雲故居記念館。2000年に完成した新しい建物だ。建築面積は5000平方メートルを超える
 

展示品は陳雲の共産党入党から年代を追って並んでいる。1階と2階で膨大な量の資料を見ることができる
 

練塘古鎮の街並み。陳雲が幼いころもこんな街だったのかと思わせる


朝真橋。陳雲故居のすぐ近くにあり、聖堂橋とも呼ばれる。明代に架けられた橋なので、陳雲もこの橋を渡ったことがあるはずだ