毛沢東と周恩来の足跡

1949年に建国された新中国の2人の指導者といえば、毛沢東と周恩来ということになるだろう。日本でも知らない人はいないといえる存在だ。2人の上海での足跡も残されている。若き日の毛沢東が暮らした「1920年毛沢東旧居」と周恩来が政務に励んだ「周公館」を訪ねた。


若き日の毛沢東の像(1920年毛沢東旧居内)

高層ビルの谷間にある旧居
 
 毛沢東は50回以上、上海を訪れている。そのため上海にも数多くの足跡が残されている。最も有名なのは茂名北路と威海路の交差点近くにある「上海毛沢東旧居」だ。しかし、残念ながらそこでは昨年から改修工事が進められており、しばらくは見学することができない。
 現在も見学可能なのは、地下鉄の静安寺駅の近くにある「1920年毛沢東旧居」だ。毛沢東はここに1920年5月から7月にかけて約2カ月間滞在した。その間、陳独秀に何度も会い、マルクス主義の書籍などについて意見を交わした。そして、陳独秀は毛沢東に湖南省で共産主義組織を立ち上げるよう依頼し、毛沢東はそれに応えた。ここで過ごした2カ月は毛沢東のその後の人生に大きな影響を与えた。毛沢東はのちに「1920年の夏に私は1人のマルクス主義者になった」と回想している。
 現在の1920年毛沢東旧居は、静安寺地区の再開発エリアの真っ只中にある。周辺には高層ビルが林立し、旧居は場違いな建物になっている。100年近く前にここを訪れた毛沢東は、現在のような発展を予想しただろうか。旧居のうち公開されているのは、1階と2階の一部で、ざっと見るだけなら5分もあれば十分だというほど狭い。しかし、新中国建国の父と称せられる毛沢東の出発点といえる場所だと思えば見方も変わるだろう。
 
1920年毛沢東旧居への行き方
地下鉄2、7号線の静安寺駅を出て、常徳路と安義路のT字路から安義路を東に100メートルほど行くと着く。入場無料で身分証明書の提示も求められないが、念のためパスポートを持参したほうがいい。

 
1920年毛沢東旧居。背後のビルは55階建ての5つ星ホテル「静安寺シャングリ・ラ上海」だ
 

毛沢東が宿泊した部屋


 
 上海で執務していたころの周恩来の像(周公館の庭園)

中国解放に向けた上海の拠点
 
 周恩来の上海での足跡としてよく知られているのは「周公館」だ。市中心部の復興公園の少し南にある洋館で、本来の名は「中国共産党代表団駐上海事務所」だった。抗日戦争終結後、中国国民党と中国共産党の対立が表面化した。その中で周公館は1946年6月に設立された。周恩来は妻の鄧穎超(党の指導者の1人)とともに何度もここを訪れた。一大の出席者の1人である董必武もここで政務に励んだ。周恩来らは何度もここで記者会見を開き、蒋介石の偽りの和平交渉や内戦の陰謀を暴いた。中国共産党による中国開放に大きな役割を果たした周公館だが、中国国民党の圧力により、1947年3月に閉鎖に追い込まれた。
 周公館は3階建ての洋館で、フランス租界の面影を現代に伝えている。内部には周恩来の執務室が残されている。ベッドも傍らに置かれ、激務であったことをうかがわせる。そのほかにも、会議室や周恩来が使った車なども保存されている。周公館に隣接する建物は陳列館として整備されており、周公館での周恩来や董必武らの活動を解説する資料が多数展示されている。
 
周公館への行き方
地下鉄10、13号線の新天地駅から復興中路を西に500メートルほど行って、思南路との交差点を左折し、南に100メートルほど行くと着く。入場無料で身分証明書の提示も求められないが、念のためパスポートを持参したほうがいい。
 

周公館。ツタの絡まる洋館で長い歴史を感じさせる
 

周恩来の執務室。仕事が深夜に及ぶことが多いため寝室も兼ねていた