上海で学び日本の大学へ

上海では日本人にさまざまな学びの場が提供されている。その中で、インター校あるいは現地校の国際部を選択すると、日本とは異なる環境で、日本とは異なることを学ぶことになる。そうした学校で、日本人の子女はどんな体験をし、何を得ているのだろうか。日本人も多く学ぶ上海のインター校「上海リビングストン・アメリカンスクール(以下、SLAS)」で学び、昨年、日本の上智大学に進学した石黒愛望さんに話を聞いた。
 

石黒愛望さん


日本人学校からインター校へ
 
 私は愛知県一宮市で生まれ、小学2年まで地元で暮らし、父が上海で日本企業の支社を立ち上げることになったため上海に来ました。幼いころで、上海がどこにあるのか、どんなところなのかもわかりませんでした。当時の上海は現在とは比較にならず、公園のトイレの使い方に困ったこともありました。
学校は上海日本人学校に小学部卒業まで通いました。日本人学校は転入転出の児童が多く、みんながそういうことに慣れていて、転校した当初も苦労はそれほどありませんでした。授業の内容は日本の学校とほぼ同じでした。この時期に日本語を勉強できたのは、大きかったと思います。今、人並みに漢字が書け、日本で普通に生活できるのは、日本人学校に通ったおかげだと思っています。
 小学部を卒業後、SLAS進んだ理由は2つありました。1つは父の仕事の都合で、いつ日本に帰国できるかはっきりしなかったことです。多分長くなるだろうと言われていました。もう1つは、中学卒業後、日本に1人で帰国し高校に通わなければならないと考えたことです。当時、日本人学校高等部設立の話はありましたが決定はしていませんでした。インター校へ行ってある程度の英語力がつけば、中学であれ、高校であれ、帰国後に有利になるし、大学受験まで上海にいれば、英語で帰国子女枠の受験が可能だと考えました。インター校の中でSLASを選んだのは、全く英語ができなかった私にとって(当時は「Hello」が精いっぱいだった)、英語を基礎から学べるESLクラスがあったのが一番の理由でした。
 
苦労の中で得たもの
 
 SLAS入学当初は、英語が話せず先生の言っていることがわからなかったので、宿題も何も理解できませんでした。しかし、先生が何度も丁寧に説明してくれ、それでも理解できないときは親切な日本人の友達が教えてくれたため、徐々に楽しく過ごせるようになりました。また、バレーボールなどの学校のスポーツチームに参加することで、日本人以外の外国人と話す機会も増えました。きちんとした英語が話せなくても、片言でもなんとかコミュニケーションが取れることがわかってからは、自分から積極的に外国人にも話しかけるようになり、友達の輪が広がっていきました。コミュニケーションによって、英語も自然に上達していきました。
 言葉以外ではワールドヒストリーで苦労しました。日本でいう世界史です。SLASはアメリカンスクールなので、アメリカからみた世界史であり、日本の参考書を読んだり親に聞いたりしても、ニュアンスがどうしても違ってしまい大変でした。それでも、勉強を続けていくうちに、その違いの面白さを知ることができるようになりました。
 
日本で生かす上海での体験
 
 昨年9月、上智大学国際教養学部に帰国子女枠で入学しました。小学2年から上海で生活していたので、日本で学生生活を送りたいという気持ちが強く、欧米の大学への進学は考えませんでした。現在の大学を選んだのは、マンモス校ではなく、こぢんまりとした雰囲気が気に入ったためです。SLASで英語での授業を受けていたので、英語の授業の方がわかりやすく、SLASで学んだことを忘れることなく生かせるとも考えました。
 日本の大学生はほとんど勉強しないと聞いていましたが、私の周りの学生はけっこう真面目に勉強しています。外国人の学生が多いせいもあるのでしょうか。将来に向けて資格も必要だと考え、今、HSK、英検、TOEICなどの外国語の資格試験の勉強に励んでいます。国際教養学部の学生はさまざまな国からの帰国子女がたくさんいて、異なる価値観を持った友達ができたことも刺激になっています。
 上海で日本人学校とSLASの2つの学校に通えたことは、非常にいい経験だったと思っています。特にSLASは親切な先生も多く、たくさんのことが学べました。英語で会話・コミュニケーションが取れるようになったのは、SLASに通ったおかげだと思ってます。日頃の生活で中国語もある程度覚え、英語と中国語がともに使えることは、私の生涯の財産です。
 大学卒業後の進路はまだ決めてませんが、給与、保険などの面では日系企業がいいかなと思っています。単純に英語を使うだけでなく、日本人としての感性を生かして海外と関われる仕事に就きたいと考えています。